頭部に直接の衝撃が加わり、硬膜下・くも膜下血腫、脳挫傷、びまん性軸索損傷などの脳損傷では、通常、6時間以上の昏睡を含む意識障害が生じ、CT・MRI画像においても、脳の器質的損傷を捉えることができ、これを頭部外傷後の高次脳機能障害と呼んでいます。
|
意識障害 |
傷病名 |
画像所見 |
高次脳機能障害 |
1 |
○ |
○ |
○ |
◎ |
2 |
○ |
○ |
× |
○ |
3 |
△ |
○ |
× |
△ |
4 |
× |
× |
× |
× |
1であれば、高次脳機能障害の立証に、苦労はありません。
2でも、なんとか頑張って立証に漕ぎ着けます。
3となれば、高次脳機能障害の認定は極めて困難となります。
4は論外で、高次脳機能障害として審査されることはなく、非該当です。
軽度脳損傷、MTBIは4に該当し、高次脳機能障害として評価されていません。
MTBIとは、Mild Traumatic Brain Injury、つまり軽度脳外傷の略語で、外傷性のない、もしくは希薄な頭部の受傷により、脳障害を残すものとしておおむね認識されています。
症状の臨床実績は比較的新しく、90年代、湾岸戦争で爆風にさらされた帰還兵に一定の認知・記憶・情動障害を残す例があり、TBI、外傷性脳損傷の診断名がクローズアップされました。
それらには、必ずしも脳損傷、脳外傷が認められないケースも多数含まれており、M、マイルドをつけてMTBIという呼び方で一般化されました。
これはベトナム戦争の帰還兵が、PTSD、心的外傷後ストレス障害と診断され、傷病名が一般化された経緯によく似ています。
高次脳機能障害は、脳の器質的損傷の存在が前提であり、MTBIとは一線を画します。
したがって高次脳機能障害が疑われる障害を残しながら脳外傷がない為、MTBIと位置づけられる被害者が少なからず存在しているのです。
当然、自賠責や労災の基準に満たないこれらMTBI被害者に、後遺障害等級の認定はありません。
平成22年9月の東京高裁判決で障害を認める判決がでたとされましたが、判旨をみるとMTBIが障害認定されたとは読み取れません。
この判決も周囲の誤解・曲解を呼び、依然として灰色的な存在が続いています。
高次脳機能障害をサポートする我々にとって、まさに奥歯に刺さった棘のようなものです。
戦地からの帰還兵には、賠償問題もついてまわり、なにかと障害が騒がれています。
今回の高次脳機能障害委員会でもMTBIの定義と扱いについて相当のボリュームを割いています。
そこで、WHOにおけるMTBIの定義について確認してみます。
1)WHOによるMTBIの定義
WHO 共同特別専門委員会におけるMTBIの診断基準
MTBIは、物理的外力による力学的エネルギーが頭部に作用した結果起こる急性脳外傷である。
臨床診断のための運用上の基準は以下を含む
?以下の一つか、それ以上、
混乱や失見当識、30分あるいはそれ以下の意識喪失、24時間以下の外傷後健忘期間、そして、あるいは一過性の神経学的異常、たとえば局所神経徴候、けいれん、手術を要しない頭蓋内病変、
?外傷後30分の時点、あるいはそれ以上経過しているときは、急患室到着の時点で、グラスゴー昏睡尺度得点は13〜15
ちょっとした脳震盪でも、MTBIを発症する?
上記のMTBI所見は、薬物・酒・内服薬、他の外傷とか他の外傷治療、例えば、全身の系統的外傷、顔面外傷、挿管など、他の問題、例えば心理的外傷、言語の障壁、併存する医学的問題、あるいは穿通性脳外傷などによって起きたものであってはならない。
2)平成23年新認定システム 〜 委員会における専門医の意見
続いてMTBIについて、今委員会における専門医の意見を検証します。
片山医師の意見陳述
片山医師は脳神経外科学が専門であり、当委員会の検討対象となっている1回限りの軽症頭部外傷により遷延する重篤な症状あるいは障害が発生することがあるかという点について説明を行った。
課題1
1回だけのMTBIにより、遷延、3カ月以上する重篤、社会生活が困難な症状あるいは障害が発生することがあるのか?
受傷直後から数日ないし数週間までは、頭痛やめまいなどの愁訴や、記憶障害および注意障害、不安および抑うつなどの症状が持続することがある。
これらの症状は、受傷後しばらく脳の機能的障害および器質的障害の影響を受けるために起きると考えられる。
しかし、これらの症状は徐々に軽快し、一般的には3カ月以内に消失する。
ほとんどが受傷後3〜12カ月以内に回復する。
ただし、一部の患者ではこれらの症状が遷延したり遅発したりすることがある。
コメント
原因について、「器質的損壊」 には言及しないものの、「器質的障害」 の影響としているところに注目しなければなりません。
しかし、症状は一部の例外を除いて3〜12カ月以内に回復する、としているのです。
あくまで一過性の症状であると捉えています。
課題2
現実に症状の遷延や遅発の事例は、脳損傷に起因するものといえるか?
遷延ないし遅発する症状の原因を、脳の器質的障害=脳損傷に求めることはできない。
遷延ないし遅発する症状には、脳損傷とは関係のない要因が絡んでいると考えられている。
これには、身体的には疼痛など、精神的には外傷後ストレスや不安ないし抑うつ、人格的には行動性向など、社会的には家族や職場などでのストレス、訴訟や補償などの要因が含まれている。
しかし、軽症頭部外傷による脳の機能的障害ないし器質的障害(脳損傷)による症状が消失する前に、これらの要因が絡むことによって、症状が遷延したり遅発したりしたときには、軽症頭部外傷を原因とする症状と見倣すべきであるという考え方もある。
コメント
脳損傷であることをきっぱり否定しています。
他の痛みから派生する、精神的なもの、その人の性格や被害者意識が原因であると分析しています。
また、心因性の障害であるとしても、長引くその症状のきっかけとなったとの見方もあります。
これは解釈論であって白黒つく話ではありません。
いずれにしても、脳損傷のない脳障害はない!とハッキリ断定しています。
課題3
特に、受傷による意識障害がなく、形態画像でも脳損傷を検出できないようなときはどうか?
意識障害や記憶障害などを起こしていなければ、器質的脳損傷を起こすことはないと考えられる。
このようなとき、遷延ないし遅発する症状の原因を、脳の器質的脳損傷に求めることはできない。
コメント
意識障害がなく、健忘(記憶障害)もなければ、脳損傷が存在する筈がない。
したがって、症状の継続の原因は脳損傷ではない。
この見解は、全くぶれていません。
現状の高次脳機能障害の認定基準とは一線を画すものということになります。
脳損傷の有無によって高次脳機能障害とMTBIは明確な区別がされています。
この認識は変わっていません。
そして「一過性であること」、「回復するもの」、「精神的なもの」 と断定しているのです。
3)平成23年9月の高裁判決
今委員会でも無視することはできず、以下のようにまとめられています。
D委員、E委員による意見発表
明確な意識障害や画像所見がなく、後遺障害9級、ただし30%の素因減額を適用を認定した裁判例、東京高裁平成22年9月9日判決、H22年(ネ)第1818号、同第2408号にづいて、報告がなされた。
?本件事案について、一審の東京地裁は事故で脳外傷が生じたことを否定して後遺障害14級を認定したが、東京高裁はこれを認め、後遺障害9級を認定した上で、損害賠償額の算定において、「心的要因の寄与」 を理由として30%の素因減額を行っている。
コメント
つまり、東京高裁判決では、画像上明らかではないが、なんらかの脳外傷があったのだろうと推論をもって障害の存在を認めています。
しかし、この認め方も灰色で、心因性の影響も捨てきれず、損害額の70%だけを認めたのです。
これを、支援団体は、MTBIの障害認定に風穴が空いたと歓喜していますが、私は、原因不明ではあるが、現状の障害の重篤度を考慮した結果であって、MTBI自体の障害認定はしていないと、受け止めています。
?東京高裁は因果関係の判断にあたり、最高裁昭和50年10月24日判決、ルンバール事件判決を引用しています。同最高裁判決は、因果関係を判断する上で、自然科学的な証明まで求めなくて良いことを述べたものである。
東京高裁が因果関係の判断に関する最高裁判決を引用した上で判断した点と、損害額の算定において、「心的要因の寄与」 を理由とする素因減額、最高裁昭和63年4月21日判決参照を行っている点とを考え合わせれば、東京高裁は、脳に器質的損傷が発生したか否かという点、被害者の訴える症状の全てが脳の器質的損傷によるものか否かという点の双方について、悩みながら判断したという印象を受ける。
コメント
自然科学的な証明を画像所見と置き換えるなら、これは画期的な判断です。
しかし引用した最高裁判例は35年前のルンバール事件で、これは医療過誤、医療事故における医師の治療行為の正当性が争われたものです。
ここからの引用は苦し紛れ、強引さを否めないと考えられるのです。
医学的な判断をする=裁判官の苦悩は毎度のことで、医師が理解できないものを悩みながら、判断しているのです。
?東京高裁は、事故直後に強い意識障害がなくても、脳外傷は生じうるとした。
この点について加害者側は、事故後にきちんと事故状況の説明をしているし、ましてや自分で車を運転して帰っているのだから、意識障害はないだろう"と主張したが、高裁は、だからといって脳外傷が生じていないとは言えないと判断している。
しかしながら、脳外傷の有無に関する東京高裁判決の論理展開は、「提出された診断・検査結果の内容と被害者側医師意見書を考えると器質性の脳幹損傷が起こった。」 というのみであり、他方、加害者側から出てきた意見書については単純に、「採用できない。」 と否定するだけであって、脳外傷の判断における医学的意見の採否の理由は十分に説明されておらず、また、被害者に発生した神経症状や所見、被害者側が主張するものについても、どう評価すべきかの検討が十分ではないと思われる。
コメント
本判旨では、意識障害なしの証拠不十分でも実際の症状、治療経過、医師の診断によって脳損傷が推定できるとし、「事故直後、症状がなかった。」 から脳障害はないと主張する被告の反論を採用しなかったにとどめています。
したがって、MTBIの障害性には、なんらの結論も出していません。
原告は上告すると聞いています。
最高裁で決着がつくのか、やはり障害はないとなるのか、注目しているところです。
4)MTBIのまとめ
脳外傷の画像所見がなくても、脳損傷はあり得るのか?
意識障害がなくても、脳損傷はあり得るのか?
これら2つの問題は、今もなお、明解な結論が出ていません。
現状では、画像所見・意識障害がなければ、原則、脳損傷はないと診断されています。
先の高裁判決も、極めて限定的に、被害者救済の見地から判示したもので、今後、同様の裁判が積み上げられるとしても、認定されることが増加するとは考えられません。
これまでも、MTBIと診断された複数の被害者の中でも、強烈な印象を受けた2例を簡単に紹介しておきます。
最初は、道路を横断しようとしたとき、前を通り過ぎるタクシーと大腿部がかするように接触し、よろけて転倒、それに気づかないタクシーを怒鳴りながら、走って追いかけ、停車させたとのことです。
このような事故発生状況ですが、数日を経過すると、めまい、頭痛、内臓疾患などの不定愁訴が出現し、特定の医師の診察を受け、MTBIと診断されています。
もう1つは、信号待ち停止中に追突にあった被害者で、事故受傷から2年を経過して、やはり特定の医師からMTBIと診断されています。
医師の指示で受けた拡散テンソル画像で、脳の器質的損傷を立証できたとのことで、鼻息も荒かったのですが、私に言わせれば、その器質的損傷が本件事故に起因したものか、この肝心なポイントは立証できていないのです。
5)最後に、現在、MTBIを支援している弁護士の意見
?軽度脳外傷の軽度とは、あくまで事故後の意識障害レベルが軽度であったという意味に止まり、症状それ自体が軽度であるという意味ではなく、症状が慢性化したときは、むしろ重度の後遺障害を残存することが多いことに注意すべきである。
?自賠責保険は、脳損傷の診断基準として、国際基準に比べて異常に突出した高いハードルの診断基準を設定し、裁判所も自賠責保険の判断を追認する傾向が顕著である。
日本の医療従事者の大半は2004年WHOの軽度外傷性脳損傷の診断基準に精通していない。
そのため、脳損傷であるのに、そうでないと否定して、被害者に泣き寝入りを強いている現実がある。